「人」は英語で?ペルソナについて話したい
学生の時分、大して友達も多くなかった。
暇で暇でどうしようもなかったので、一人暮らしのアパートでひとり物思いにふけっていた時に、ふと思った。
「私って何?」
「そもそも人って何?」
誰しもそんなことくらい考えると思うが、暇をこじらせていたので考えることに熱中してしまい、やっていくうちにどんどん楽しくなってきて、一晩中「人」について考えていた。
people : 「人の複数形、人々」これはよく使う。日本語でも言う。一般ピーポーとか。
person : 「人の単数系、人」これも使う。パーソン。
individual : 「個人」意味としては、これ以上分けられないもの。と言うことらしい。確かに社会を構成する最小単位は何かと聞かれれば、確かに「人」になる。
いかにも西洋的発想で、日本にはピンとくる概念がない。
なるほど、なるほど。。
だけど、当時の私は大学生であったので社会的には「大学生」で通じる。
しかし、私は「浪人」経験がある。
浪人の頃、大学受験の次に考えていたことは「今、何者?」ということだ。
それが、大学生になった時再び思い返すように、考えるようになった。
「本当の自分ってなんだろう?」と。
「そもそも本当の自分ってあるのか?」
また遡るが、私が中学校2年生の時。
今でも全く反省していないが、当時の担任の先生にひどく怒られ、
鮮明に記憶していることがある。
それは
「人によって態度を変えるな!」
ということである。
「では先生? 聞きますけど、先生は僕に対するその態度を、校長先生と同じようにできますか?」
一般的な「人によって態度を変えてはいけない」という暗黙の了解的なものは感じ取っていたが、実際にそれを実践している人なんかいないし、まして「それを言う大人たちが一番、態度変えとるやないか」といつも思っていたクソガキでした。
余談が過ぎたが、
つまるところ、「人は、他人によって態度を変える」ことが普通だと認識した。
そう考えると、
「態度を変えて他人に接しているときの自分は、誰?」
「態度って何?」
「態度とは、人が他人に接するときに使う仮面のようなもの」
「態度」=「仮面」
「人格は、仮面のように他人によって変えられる」と言うことを知った。
つまり、「人格」=「仮面」?
下手に英語を覚えた学生は、英語として知らない単語が出てくると調べてきたくなるのが本能であるので、「仮面」の英語とその由来を調べてみた。
”身の毛がよだつ”とはまさにこの事。
maskも当然あるが、
「仮面」はラテン語で「ペルソナ : [persona]」意味としては、「人格」と言う意味があったのである。。。感動した。
そして、さらにペルソナ[persona]をよく見れば、人[person]と酷似している。
調べたが、[persona]がルーツであるらしい。
つまり、「人」=「仮面」
私の中学時代の考えは、英語とラテン語の文化的に正しいと言うことが立証できた。
それは、
「仮面」こそ、人格(主体)が人と接する時に現れる「人」であると言うことだ。
本当の自分とは、確かにいる。
しかし、それは球が平面に対して接しているたった1点のように、ほんの少ししか垣間見えない。
だから、本当の自分を言うのをまじまじと観察できる日なんてきっとこない。
だけど、確かにそこにあなたの人格はあるから安心して。